90年代後半に、彼はあるコンセプトを打ち出した。その成果が3つ目の主題「風景」に見ることができる。
非合理的な現実性を根本的に知ったことにより、場所や舞台としてだけではなく自然や大陸、宇宙として世界の表象が意味をなし、その現実に対する疑問は回避できないものとなった。
実在とは何であるかについての推測や所見、主張の範囲、また将来を見通した、段階的、階級制度的世界観モデルや、時代精神を定め、何世紀にも渡る範例がここでのテーマである。それは、世界像を世界観として理解し、またイデオロギーという概念に至るまでを含んでいる。
シプラが絵画により解決を望んだ問題は、現実とは何かという問いから明らかになることより些細ではなかった。確実に根本的に失敗する運命にある計画。
しかし感心するのはこの失敗の質や、ある種の失敗がよい感触であるであるという事実である。このシリーズ(風景画)の絵画1点1点に使われている技法は、絵の事象を決定づける基本的、形式的なものだ。抽象-デザイン、シンボル、符号というパラメーターの方法への集中。
彼の絵画は、それまで文学的な野望にとらわれていなかった。絵を用いてストーリーを語ったり、文学的な注釈を施すことを得意としていなかった。エキサイティングで本質に迫る、容易い探求と投入のために上記のパラメーターの技法を取り入れるようと急き立てられ、文学的にアップロードされたモデルに着手した事に気づいた。シプラは、20世紀の時代現象を注解したドキュメンタリー写真にそれを見出した。こうしてここのような作品グループの最高の絵が恣意的に、またおそらく絵画の独立が義務であったかのように作用した。長い間鑑賞すると、極度に曖昧な方法で用いられたモデルの特別なストーリーが伝わってくるだろう。時代現象の写真の文学的内容は、背景から聞こえるざわめきのように、ストーリーが反響してくるかのような印象を与える。なによりも、この現象が興味を惹くのだ。
このようにして、写実と自然が「内」の次元にはっきりと広がっている絵画が、第3主題である「風景」の最高の成果に見られる。科学が、長さ、高さ、幅、時空を説明するなら、芸術は、常に5番目の次元、内側を知る方法を表現することに努めている。
「内」や主観、精神の実在性、魂の次元なしの写実主義や自然主義は考えられなし、ましてや納得がいかない。「内」は、ここで紹介した絵画の本質である。
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